十六夜清心
鎌倉極楽寺の僧「清心」と遊女の「十六夜」の世話物
世話物の説明を少しばかり
世話物とは本作が作られた当時を記した「現代劇」
十六夜清心の初演が1859年と言われ、江戸時代の末期の「現代劇」というイメージで観ると楽しみが変わってきます。対義になるのが「時代物」
あらすじ
清心は十六夜との恋仲であることが露見して、女犯の罪で寺を追放される。十六夜はそのころ清心の子を宿しており、そのままでは扇屋で遊女としての仕事も続けられない。困窮し絶望する二人はともに心中することを決意し、暗い闇夜の中、川へ身を投げる。
始まってすぐ主役2人の心中から始まる数奇な運命をたどる物語
十六夜は川遊びをしていた俳諧師白蓮の船に助けられ、一命を取り留めるも清心だけが命を落としたものだと思い悲しみにふける。白蓮は深い理由があるのだろうと聞くもかたくなに答えず、しかしながら追い詰められ行き場のない十六夜の心を察した白蓮は見受けをし、世話をすることを伝える。
一方、清心は海辺育ちが災いし、沈もうとしても体が浮き上がってしまい、こちらも助かる。しかし十六夜の姿は見えず、路上の石を袂にいれ再度身を投げようとするも一人では踏ん切りがつかず。
そうこうするうちに大金をもった恋塚求女(こいづかもとめ)が登場。闇夜の中、道中持病の癪が起き、助けを求める。近くにいた清心はこれを助けるも気付をする際に懐にある大金に気づく。一度は助けるもその金が気になり、追いかけ引きずりそれを貸すように言う。もみ合う中、誤って求女をあやめてします。
ここで大きな山場となる清心の心変わり
一人をあやめようが千人をあやめようが下手人の首は一つ。ひとのものをうばって人生を謳歌するのもよかろう。と一気に人物像が変わる。
ここで一つの明かりが近づく。先ほど救った十六夜を連れた白蓮の一行。
見られちゃまずい清心は道明かりを持つ三次を襲い、明かりを消す。
一面闇夜となり、いわゆる「だんまり」と言われるシーンになる。壇上の人物が言葉を出さずに、暗闇を再現するかの如く芝居が続き、清心はその場を逃げることができた。清心と十六夜の再会を阻んだ闇夜が印象的なシーン。ここで一幕が下りる。
場を改め、白蓮が囲う十六夜にあてがった別宅
白蓮の妾として、束の間の平穏な日々。白蓮が寝屋で休んだのを確認したあと、清心を想い胸中の仏像に弔いをささげる。このことに気づいた白蓮がそれを問うと、初めて心に想う強い気持ちを話し出す。
白蓮はそのように想うのであれば、ここに留まる必要はない。囲いを解き、尼となり仏門に入り生涯菩提を弔うよう配慮する。
正妻のお藤もその場に居合わせ、剃髪した十六夜と姉妹(兄弟?)の契りを交わし、十六夜は弔いの旅に出る。
(本舞台ではこの後にシーンはないが、十六夜と諸国行脚を同行していた道心者西心と離れ、箱根で清心と再会することとなる)
時が過ぎ、悪事を重ねる清心に影響された十六夜は、過去に世話になった白蓮宅を清心とともに訪ね、人情にすがるように懐に入り込み、やがてゆすりを行う。
白蓮は落ちぶれた十六夜を悲しく思いつつも厄介払いするかのように百両を渡し、出ていくように話す。
しかしここで出された百両の包みをみた清心が、これは以前極楽寺で盗まれた三千両の一部だと気づき騒ぎ立て始める
正妻・家の者を別室に追いやった白蓮がそのことを白状する。
清心が懐から落としたものを見た白蓮が出所を尋ねる。下総出身で親の名前などを聞いたところ、自分が小さいころに神隠しにあった兄であることが発覚する。
ここで岡っ引きが踏み込んできて、今回は幕がおりる。
(本筋では、清心があやめた求女は十六夜の弟であることがわかり、清心は自害し、十六夜も命を落とす)
見どころ
1、清心の悪の道を進む心変わりの場面
「しかし、待てよ。今日十六夜が身を投げたも、またこの若衆の金をとり殺したことを知ったのは、お月さまと俺ばかり。
一人殺すも千人殺すも、取られる首はたったひとつ。
人の者はわが物の栄耀栄華をするのが徳、こいつあめったに死なれぬわぇ。」
中略しておりますが、ふらっとジャイアン的な発想を思い浮かべます。
2、「だんまり」を用いたニアミス演出
観客からはその場面で再会を期待するも、当時の暗闇を思えば月あかりがあったとしても互いに認識することはできない「暗さ」を見事に表現。現代では夜も明るいので急な演出で違和感を覚えるかも。
3、物語の妙味
登場人物が複雑に絡みあう背景。運命のいたずらを見事に隠しつつ、物語を構成。「陰と陽」「善と悪」この対極をしっかり線引きしつつも「純愛」だけが変わらず根底を支える。
主談話
現在ライトノベルでよく見かける「転生したら〇〇だった」などのように1話めでいきなり主役が命を落とすシーンは河竹黙阿弥の物語が源流なのかもしれないなぁと感じています。